ブダペストのことを書く。
ウィーンで友人のしゅんすけとお別れをして、ハンガリーは一人で観光した。
ウィーンからハンガリーの首都ブダペストまでバスで3時間ぐらい。19ユーロぐらいめっちゃ安い。ウィーンからブダペストに向かうまでは、これまでみたいに地続きではなく、まだ少し起伏があった。風景をぼーっと見てたらあっという間についた。
ブダペストのバス停についてwifiを使おうと思ったら全く電波が無くて死にそうになった。ほんまに死にそうになったけど、とりあえずホテルの住所っぽい通りの名前が地図に載っててその駅に行った。その駅について外に出たけど、街はすっかり夜で人通りは少ない。こんな時間に旅行者がリュックを背負って歩くとか狙われる死ぬと思ってちょっと怖かった。けど別になんもなかった。
とりあえず駅に戻って駅員みたいなおっさんにホテルの住所教えたけど全く英語が通じない。そしたらおっさんが若い女の子に声をかけて、その女の子が彼氏を呼んでくれて、ホテルの前まで連れて行ってくれた。めっちゃ優しかった。ほんまに感謝。ハンガリー人の優しさに触れた。ホテルに着いてほんまに久しぶりに一人になれて落ち着いた。すぐ寝た。
次の日はだらだらと起きて、観光をした。
市場が近くにあって、そこに行ってみた。
ソーセージとか野菜とか色んな種類の店がガーっと並んでいた。人はまぁまぁおったかな〜観光客しか来んのか知らんけど価格設定が高かった。
だから他の店行ってからワインとか買うことにした。
ブダペストは温泉でもすごく有名で、しかもやたら古い温泉がある。
そこに行ってみることにした。
てかその前にブダ地域とペスト地域を挟んでいるドナウ川を橋で超える。川を渡ると、小高い丘がある。その頂上に登った。その丘のふもとにはホットワインを売っとるおっさんがいて、試飲させてくれてあんまり美味しくなかったけど買った。
頂上までは結構かかった。
汗だくになったけど、景色がすごく綺麗だった。
実は夜がすごく綺麗なのだ。
汗だーだーになりながら登り、温泉に向かった。
この丘を下った所にその温泉はある。16世紀からやっている温泉で、中々雰囲気がすごかった。久しぶりにお湯に浸かれて、疲れが吹き飛んだ気がする。
少し硫黄臭かったけど、薄暗いドーム型の風呂の雰囲気がよかった。地球の歩き方に、ゲイの社交場としても利用されることがあるとか書かれてて、確かにそんな感じだった。
ほんでうまいハンガリー料理を食った。
なんか忘れたけどとんでもなくうまかった。
ビールも最高だった。
この日はそんぐらいやったかな。
ホテル帰ってアニマルプラネットをずっと見てた。
次の日は卒業出来るかどうかの発表やって、ほんま死にそうやった。なんとか卒業出来たことを確認して、出かけた。この頃はもう地下鉄も余裕で乗り回してたな。
二日目は恐怖の館という所に行ったんやったかな。
第二次ではナチス側につき、冷戦ではソ連側についたハンガリー。その時代の残虐さをミュージアムで体感出来るような構成になっていた。意図的に恐怖を演出していて、それはどうかと思った。恐怖を演出することは実際に恐怖を体感した人を愚弄していると思った。でも本当に恐ろしかった。アウシュヴィッツとはまた違った恐ろしさがあった。
ほんでフォアグラを食いに行った
あんまおいしなかった
そしてまた違う温泉に行った。
そこはほんまに綺麗だった。
温泉は水着を着て、混浴だった。綺麗なビキニのお姉さんがたくさんいた。混浴とはその時おれは知らなかったので、逮捕されると思ったら汚いデブなおっさんがいて安心した。
ここも16世紀ぐらいからある古い温泉だった。よかった。
夜になって、また丘に登った。
ブダペストの夜景は黄色だった。トカイワインを片手に持って飲みながら見てたからあんまその時のことは覚えてない。とにかく綺麗だった。
あーもう旅が終るのかと寂しく思った。
日本に帰りたくない、旅をもっと続けたいと思った。
悲しくはならんかったけど、旅は楽しかった。
世界は小さい、狭いと思ったけど、おれはもっと小さい。おれの小ささを実感出来た旅だった。
帰りの飛行機でフランクフルトを経由した。その時食ったランチ
おれはもう米食わんでも、ビールとソーセージとジャガイモとパンがあったら生きて行けるとこの時確信した。ドイツ万歳。帰国してからカリーブースト5回は確実に作った。
そしてスペシャルサンクスしゅんすけ
ということで旅日記これにて終了
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