ラベル 地震 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 地震 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年8月2日火曜日

持続可能性と自然の摂理

原発の事故が起こって以後、持続可能エベルギーの議論が以前よりも一層増えたと思う。太陽光や風力や地熱などの自然のエネルギーを有効に使って、環境にもいいエネルギーを使おうというものだ。
自分も少し前までは、こういった取り組みはすばらしいものだと思っていた。人間達が使うエネルギーを環境に負担をかけることなく、人間達も豊かな生活を営むことが出来ると思ったからだ。しかも太陽光や風というものは、人間がいる限りずっとあり続けるものだと思うし。
もし、自然エネルギーが現在よりも爆発的に普及出来たなら、人間達はずっとあり続けるんだなと思う。

自然の摂理。自然のルールだと自分は決めつけている。
自然のルールがあったからこそ、生物はこれまでずっと生き続けることが出来たんだろう。自然の摂理にぎりぎりの所で歯向かって、その生物なりの進化を果たしたり、生きていくなかで工夫を凝らしてきたんだろうと思う。
自分はばりばりの文系だから、あまり理科とか生物のことは分からんけど、食物連鎖とかが持続可能なシステムの一つだと思うんですよ。知らんけど。

食って食われて、食ったやつもいずれ食われて。
人も焼かれて骨が分け分からん微生物みたいなモノに食われるんやろう

恐竜が死んだのは隕石の衝突とかなんだかんだ言われているけど、結局その後生き残って、進化したから今も生物が生きているんやろ
なにかしらの危機にあって、その時代に栄華を誇った生物は死に絶えて、その後進化した新しい生物が生まれたんだろ


人間達に危機は来るのか??
人間の時代ってもう終わっているんじゃないんか??
滅びを受け入れてこそ、生きて行けるのではないんか??
時代の寵児でもないのに、思い上がっていはしないか??

持続可能なんて言葉は、自然のルールに反するのではないのか??

ということを伝えたいんですが、うーん説明がへたくそ
みなさま、どう思いますか??

2011年3月28日月曜日

受けれ入れる力という「なにか」

関東・東北大震災があった。
たくさんの人に不幸があった。
多くの人がなにかをしたいと思って、募金活動をしたり、募金をしたりしてる。

でもなんでそうゆうことをしたいかというと、なんでなんやろう。
もちろん募金したらお金が被災者の方々にいって、生活を助けるやろう。

でもなんなんやろうな
神戸に行ったとき、募金活動している人たちが取材されていた。
大声を張り上げて、募金してくださいと呼びかける人。
でも募金している人は少ない。
自分も募金はしていない。バイトとかしてないから、今はしたくない。

人が浮き足立っている。なにかをしたいと。自分もそうやけど


そうゆうことを、土曜日の飲み会の時に話しをした。
その時にお世話になっている人が受け入れる力がどうこうと仰っていた。
酔ってたからはっきりと覚えていないけど...

自分には、その人が完璧に割り切って考えているように見えた。
その迷いがないのが、半分羨ましくて、半分そんな割り切っていいんかよって思った。
それでいいんかよって思った理由は、悩んでる自分の方が正しいって信じたいだけやろうけど。

でも、思いがけなく心に響いた 受け入れる力 というなにかにびっくりした。
悩みがありつつも、今自分が出来ることに一生懸命取り組むということが一番大事なのは分かってる。
一生懸命取り組めてないんだろうな。