この旅で一番行きたかったところ、アウシュビッツに今日いってきた。
アウシュビッツに行ったらきっと食う気分じゃなくなると思ったから朝からケバブを食べた。コーラも飲みながら。ただのデブ。
バスの中でケバブを食べたのだが、車中は暑いしケバブはピリ辛だから汗だくになりながら食べた。こんなけ食べたら食欲なくなっても大丈夫だろうと思った。
クラクフからバスで2時間ぐらい。アウシュビッツ行のバスの社内は平日なのに満員だった。クラクフにもゲットーがあったから、アウシュビッツに連行された人たちもこの道を通ったのかなとか思ったけど、連行された人たちは電車で連れて行かれたことを忘れていた。でも密閉された状況は電車もバスも同じだ。でも連行された人たちの気持ちなんか分からん。きっと辛いだろうから分かりたくもない。だから着くまで爆睡した。
眠りの谷間が見えてるけど、その谷に落ちはできないような感じで寝てたらアウシュビッツに着いた。着いて圧倒されるようなことはなかった。平地がずっと続いていて、レンガ造りの建物が密集しているかと思ったらすっぽりとない空間もあった。とりあえずアウシュヴィッツへの入り口を探した。
受付をすぎたらあの有名な門があった。アウシュヴィッツの「B」が反対になっている門だ。
あーおれはもうアウシュヴィッツにいるんかとぼんやり思った。その門を超えたら鉄条網がぐるりとレンガ造りの建物群を囲いこんでいた。パシャっと写真を撮ったけど、この鉄条網を脱走しようとして死んだ人は何人いるんかなーとか考えた。レンガ造りの建物は昔連行された人たちがいたけどいまは多くが改修されて展示場になっている。
とりあえず門に一番近い建物に入ってみることにした。そこはポーランドがとアウシュヴィッツの関係?みたいなのが写真とかで展示されていた。ポーランドは地理的に非常に大事な地域だ。東にロシア、西にはドイツ。この両大国に挟まれていて、戦争が始まるまでは大国の緩衝地域となるのだが、戦争が始まってしまうとロシアとドイツの真ん中だから戦地になってしまう危険な地域だった。ヒトラーはポーランドを占領することでロシア進出の足がかりとするつもりだったのだろう。ヒトラーはポーランドを占領した。しかしポーランドのレジスタンスが国内で活動することになる。
自分が驚いたことはアウシュヴィッツでもちろん多くのユダヤ人が虐殺されているのだが、ポーランド人も多く虐殺されていたのだ。ポーランド人はヨーロッパ戦線にも進出しナチスに対するレジスタンスとして勇敢に闘っていたのだと展示されていた。
ふむふむとか思いながら建物内に地下に通じる階段があった。ふらっと行ってみると何もなかったけど、ひんやりとした空気と午前中とは思えない暗さだったからすぐに出た。そのままそこにいたらもう帰って来れない気さえした。怖かった。一目散に外にでようとしたけど、建物の構がどの部屋も同じで、何度も間違えた。
不快だった。髪の毛とかメガネとかがある部屋にも行った。拷問が行われた部屋とか焼却場。数千人殺された棟と棟の間の壁。まだまだ処刑場みたいなのはたくさんあったけど省く。アウシュビッツは2時間ぐらいで見終えた。だいぶ不快なものばかり見たけど、腹はまずまず減っていた。
施設の中には犠牲者の写真が壁一面に貼られていた。全員死んだんだろうな。なんで殺されなければならんのか。全く分からん。写真もたくんあった。列に並んでいる人たちがいてドイツ兵が銃を構えて撃とうとしてる写真。飢えて訳わからんぐらい細くなった子ども。なんで殺されなければならなかったのか。
そう思った時はさすがに涙が出た。
最後に地下壕を見て、アウシュビッツの施設は見終わった。
アウシュヴィッツの横にビルケナウという施設がある。この施設も家とかガス室とか焼却炉とかがあった。アウシュビッツよりもその数は多くて、ここはアウシュヴィッツよりもだいぶん広い。
有名な線路があった。
片方は強制労働させられる線路。
片方はガス室に行く線路。
その線路の上を歩くことが出来たから歩いてみた。連行させられた人たちはどんなことを考えていたのかなと思いを馳せてみたけど、やっぱり全くわからなかった。ビルケナウはほとんどの施設がナチスとユダヤ人たちに戦争が終わった直後に壊されているから、広大な土地の中に施設がぽつぽつあった。ここで人が住んでいて殺されたとは思えなかった。
ビルケナウもほとんど見た。
腹は朝の予想に反してめちゃくちゃ減っていた。だからアウシュビッツから帰ったあとあほほど食べた。どんなけ悲しい気持ちになっても結局腹はめちゃくちゃ減った。
アウシュビッツとかビルケナウとか特に感想なんかない。
余りもにも殺風景な風景とあっけなく崩れた施設。その景色に似合わぬ大虐殺。
一晩明けたけど、まだ整理がついてないんかな。
まとまらないぜ。写真も撮る気が起こらなかった。写真がiPhoneの中にあることさえ嫌だった。
今日もケバブ食べた。
旅行で痩せるつもりがあほほど太りそうだ。
今ワルシャワ行のバスです。
2012年2月20日月曜日
クラクフのユダヤ・ゲットー
世界ふれあい町歩きという番組がある。世界各地の伝統的な町を散歩して地元の人たちとその地域の歴史とか風俗を話すってゆう内容。
自分の父親がその番組の大ファンで、毎回DVDに保存している。その番組でポーランドのクラクフを散策した回があった。市場を回って、昔からある店で話しを聞いたり、古くからある建造物を訪問したり。クラクフは幸運なことに第一次、第二次両大戦の被害をほとんど受けていない。実際に自分もフラフラしたけど、本当に美しい町だった。
その番組の中でも大戦の影響を受けなくて本当に幸運だったみたいなことを言ってた老人もいた。ここまでなら、いい意味で本当に美しい町だったなって感じで終わりだったろう。でも地球の歩き方にかつてのヨーロッパ最大のユダヤ人居住区があったことを知った。ユダヤ人地区には時間があれば行こうっ感じの軽い感じだった。
ヴァヴェル城というこれまた美しい城を訪問したあと、時間があったからとりあえず行ってみることになった。
ユダヤ人居住区だから何かしら建物がユダヤっぽいのかなと思ったらそんなこともなく、クラクフの美しい街並みだった。違う所はちょろっと建物が傷んでたぐらいだった。ユダヤ人居住区って書かれた表札が無かったら分からないぐらい。多分ユダヤ人っぽくしたら周囲の景観が崩れるからユダヤ人がユダヤ文化に則って作りたくても無理やったんやろな。景観とかなんじゃそれ。いま景観が悪くなるからモスク建てるなって問題がある。時代は繰り返されてる。
とりあえずシナゴーグ、ユダヤ教の教会を探した。それはすぐに見つかったけど、シナゴーグの横にナチス反対だとか、ユダヤ教のシンボルである六芒星に落書きされてるレストランがあった。レストランも落書きを消せばいいのにと思った。ユダヤ人も平等な権利というか、ユダヤ人の差別が本当にあるなんて思いたくなかったから。人種とか宗教で差別される現実なんか見たくなかったから。
もうこの時点で自分はもうユダヤ人の現状が分かったからある程度ユダヤ人居住区のことは満足した。地球の歩き方にシナゴーグを改修してミュージアムにしてる施設を見つけてしまった。見つけたからには入らなあかん。おしっこ漏れそうやったけど入った。中には昔から使われてる祭祀用の冠とかロウソク立てとかがたくさんあった。ユダヤ人が辛い目にあったことを展示してるのかなと思ってたから想像してたのとは違うなーと思いつつ施設内を歩き回った。
人物の写真と長い英文とポーランド語が書いてるポスターが10枚ぐらいあった。英文なんか読むのだるいとか思ったけど、頑張って一人分だけ読んでみようと思った。
その人は学校の先生らしかった。学歴とか人柄とかを書いてた。で最後にドイツ兵に殺されたって書いてあった。マジかと思って二人目読んだら二人目はナチスの秘密警察ゲシュタポに捕まって死んだと書いてあった。三人目もドイツ兵に殺されてた。10枚ぐらいあったの全部読んだ。海外に亡命した人、ドイツ兵から必死に隠れてた人、殺された人。全員ドイツ兵もしくはゲシュタポに追われたり殺されたりしていた。
そのポスターは全員学校の先生だった。学歴、人柄が載ってた。でも先生ってこの10数人の他にもいっぱいおったはず。
アウシュビッツでは150万人ぐらい殺されたらしい。もし自分が死んだら小学校、高校、大学の友人達が何らかのことを感じるだろう。でほんのちょろっと記憶に残ると思う。でも150万人ぐらい死んだら、自分を知ってる人も死んでしまって、誰も自分を知らんないことになる。
ポスターに書いてあった10数人のことは誰が覚えたのだろう。10数人の先生のポスターに書かれてあることは全部違っていた。優しい先生もいれば、すごく厳しい先生もいたって書いてあった。
誰からも忘れられて、子どもも作っていなくて、命の連鎖を止めさせられた人が何人いたのだろう。記憶に残らなくても、子どもを作ることによって自分は存在すると俺は思っている。この連鎖を止めさせられてしまったら自分は完全に消える。
誰からも忘れられ、完全に無くなる。150万人っていう数に溺れてる人が何人いるんだろう。
なんかもう虚しくなった。
友人がめし食おうって言うからユダヤ人居住区で飯食った。具が全く無いムラサキ色のスープ飲んだ。美味。
明日アウシュビッツに行く。
どうなるんやろ。
今日は悲しみの旅だった。
とか言いながらブダペストで買った最高にうまいトカイワイン飲みました。
皆様こちらは夜の0時半です。
おやすみなさい
自分の父親がその番組の大ファンで、毎回DVDに保存している。その番組でポーランドのクラクフを散策した回があった。市場を回って、昔からある店で話しを聞いたり、古くからある建造物を訪問したり。クラクフは幸運なことに第一次、第二次両大戦の被害をほとんど受けていない。実際に自分もフラフラしたけど、本当に美しい町だった。
その番組の中でも大戦の影響を受けなくて本当に幸運だったみたいなことを言ってた老人もいた。ここまでなら、いい意味で本当に美しい町だったなって感じで終わりだったろう。でも地球の歩き方にかつてのヨーロッパ最大のユダヤ人居住区があったことを知った。ユダヤ人地区には時間があれば行こうっ感じの軽い感じだった。
ヴァヴェル城というこれまた美しい城を訪問したあと、時間があったからとりあえず行ってみることになった。
ユダヤ人居住区だから何かしら建物がユダヤっぽいのかなと思ったらそんなこともなく、クラクフの美しい街並みだった。違う所はちょろっと建物が傷んでたぐらいだった。ユダヤ人居住区って書かれた表札が無かったら分からないぐらい。多分ユダヤ人っぽくしたら周囲の景観が崩れるからユダヤ人がユダヤ文化に則って作りたくても無理やったんやろな。景観とかなんじゃそれ。いま景観が悪くなるからモスク建てるなって問題がある。時代は繰り返されてる。
とりあえずシナゴーグ、ユダヤ教の教会を探した。それはすぐに見つかったけど、シナゴーグの横にナチス反対だとか、ユダヤ教のシンボルである六芒星に落書きされてるレストランがあった。レストランも落書きを消せばいいのにと思った。ユダヤ人も平等な権利というか、ユダヤ人の差別が本当にあるなんて思いたくなかったから。人種とか宗教で差別される現実なんか見たくなかったから。
もうこの時点で自分はもうユダヤ人の現状が分かったからある程度ユダヤ人居住区のことは満足した。地球の歩き方にシナゴーグを改修してミュージアムにしてる施設を見つけてしまった。見つけたからには入らなあかん。おしっこ漏れそうやったけど入った。中には昔から使われてる祭祀用の冠とかロウソク立てとかがたくさんあった。ユダヤ人が辛い目にあったことを展示してるのかなと思ってたから想像してたのとは違うなーと思いつつ施設内を歩き回った。
人物の写真と長い英文とポーランド語が書いてるポスターが10枚ぐらいあった。英文なんか読むのだるいとか思ったけど、頑張って一人分だけ読んでみようと思った。
その人は学校の先生らしかった。学歴とか人柄とかを書いてた。で最後にドイツ兵に殺されたって書いてあった。マジかと思って二人目読んだら二人目はナチスの秘密警察ゲシュタポに捕まって死んだと書いてあった。三人目もドイツ兵に殺されてた。10枚ぐらいあったの全部読んだ。海外に亡命した人、ドイツ兵から必死に隠れてた人、殺された人。全員ドイツ兵もしくはゲシュタポに追われたり殺されたりしていた。
そのポスターは全員学校の先生だった。学歴、人柄が載ってた。でも先生ってこの10数人の他にもいっぱいおったはず。
アウシュビッツでは150万人ぐらい殺されたらしい。もし自分が死んだら小学校、高校、大学の友人達が何らかのことを感じるだろう。でほんのちょろっと記憶に残ると思う。でも150万人ぐらい死んだら、自分を知ってる人も死んでしまって、誰も自分を知らんないことになる。
ポスターに書いてあった10数人のことは誰が覚えたのだろう。10数人の先生のポスターに書かれてあることは全部違っていた。優しい先生もいれば、すごく厳しい先生もいたって書いてあった。
誰からも忘れられて、子どもも作っていなくて、命の連鎖を止めさせられた人が何人いたのだろう。記憶に残らなくても、子どもを作ることによって自分は存在すると俺は思っている。この連鎖を止めさせられてしまったら自分は完全に消える。
誰からも忘れられ、完全に無くなる。150万人っていう数に溺れてる人が何人いるんだろう。
なんかもう虚しくなった。
友人がめし食おうって言うからユダヤ人居住区で飯食った。具が全く無いムラサキ色のスープ飲んだ。美味。
明日アウシュビッツに行く。
どうなるんやろ。
今日は悲しみの旅だった。
とか言いながらブダペストで買った最高にうまいトカイワイン飲みました。
皆様こちらは夜の0時半です。
おやすみなさい
2010年11月13日土曜日
イスラム世界はなぜ没落したか 西洋近代と中東 バーナード・ルイス
http://www.amazon.co.jp/イスラム世界はなぜ没落したか-―西洋近代と中東-バーナード・ルイス/dp/4535583307
この本は9.11の前に出された本だけれども、ブッシュもこの本に影響を受けたとされている。
そしてかの有名な「文明の衝突」の作者サムエル・ハンチントンにも影響を与えたらしい。二人ともハーバードの教授らしいから
この本は中世までのイスラム世界は繁栄をきわめていたけど、キリスト教世界で生まれた技術などは“異教徒の劣ったもの”として拒絶していた。そこで謙虚にキリスト教の文化を受け入れなかったから、繁栄出来なかった。しかしイスラム世界は自分たちが受け入れを拒否した自分に責任を求めるのではなく、西洋世界に押し付けたというのが作者の見方だ
この本はイラク戦争の理論的なイデオロギーになってしまった。
自分は履修問題があって、世界史は全く勉強していないと言っても過言ではない。
世界史の知識はほとんどない
だからこそなのかもしれないが、この本を読んでいて、イスラム世界の没落というのは案外すっきり納得してしまった。
それが恐ろしくこわい
もう少し他の本を読もう
この本は9.11の前に出された本だけれども、ブッシュもこの本に影響を受けたとされている。
そしてかの有名な「文明の衝突」の作者サムエル・ハンチントンにも影響を与えたらしい。二人ともハーバードの教授らしいから
この本は中世までのイスラム世界は繁栄をきわめていたけど、キリスト教世界で生まれた技術などは“異教徒の劣ったもの”として拒絶していた。そこで謙虚にキリスト教の文化を受け入れなかったから、繁栄出来なかった。しかしイスラム世界は自分たちが受け入れを拒否した自分に責任を求めるのではなく、西洋世界に押し付けたというのが作者の見方だ
この本はイラク戦争の理論的なイデオロギーになってしまった。
自分は履修問題があって、世界史は全く勉強していないと言っても過言ではない。
世界史の知識はほとんどない
だからこそなのかもしれないが、この本を読んでいて、イスラム世界の没落というのは案外すっきり納得してしまった。
それが恐ろしくこわい
もう少し他の本を読もう
2010年11月5日金曜日
リサフェの感想ー『風の谷のナウシカ』が共生観を変える!?〜宗教の欠落という観点から〜
今更ですが、関西学院大学の神戸三田キャンパスでは毎年11月の頭らへんにリサーチフェアというイベントが開かれる。そこでは、ゼミで研究したことをポスターセッションやプレゼンテーションを通じて発表するというものだ。ゼミ同士の交流が少ないので、リサフェでゼミで研究することを発表することにより、違うゼミではどのような研究をしているかを知ることが出来る。
そこで自分はタイトルにある
『風の谷のナウシカ』が共生観を変える!?〜宗教の欠落という観点から〜
という発表で、新たな視点を得ることが出来たので、それについて書く
まずナウシカの世界の説明から
ナウシカの世界には三つの主義を持ったアクターが存在する
一つ目のグループはナウシカを中心とする、ひとつひとつの命を大切にするという主義
二つ目のグループはオームやオームと共生?している自然至上主義
三つ目のグループは大国トルメキアの人間中心主義
四つ目のグループはトルメキアと対立関係にあるドルクなんちゃら連合
この三つのグループはうまく共生していたのだが、ある地方が非常に大きな力を手に入れてしまい、勢力均衡が崩れてしまう。そこでナウシカのグループとトルメキアは協力して、四つ目のグループに対抗しようとする。その四つ目のグループの国に行くには、三つ目の自然主義のグループがいる地域を横断しなければならない。
ナウシカはその自然主義に触れ、その影響を受け、トルメキアに戦争をやめさせようとする。
ってゆう設定やったはず
で、このセッションで宗教は共通の価値観を持った共同体みたいな話やったと思う
近代人と主義が酷似しているのが、トルメキアの人間中心主義だ。
そのトルメキアでは宗教が欠落していて、自らの利益しか求めず、自らのコミュニティも大切にしない。
というレトリックで宗教が欠落しているトルメキアを批判している。
そしてトルメキアとは正反対の森の人を肯定している。
森の人はコミュニティの掟を厳守する。
個は全体のために、全体は個のためにということが彼らの思想だ。
発表していたグループはこの森の人の意見が大切だと言っている。
しかし、この全体主義では逸脱は禁じられている。
もしも逸脱した場合どうなるのか。
原作ではその場面は触れらてはいない。
全体のために個人が犠牲になる議論はもうし終わったはずだ。
そこをもうちょっと考えてほしかった。
しかしこの発表では、統一の宗教、思想の崩壊によって自然環境が破壊されたというレトリックが新しかった。その点でこの発表を評価したい。
そこで自分はタイトルにある
『風の谷のナウシカ』が共生観を変える!?〜宗教の欠落という観点から〜
という発表で、新たな視点を得ることが出来たので、それについて書く
まずナウシカの世界の説明から
ナウシカの世界には三つの主義を持ったアクターが存在する
一つ目のグループはナウシカを中心とする、ひとつひとつの命を大切にするという主義
二つ目のグループはオームやオームと共生?している自然至上主義
三つ目のグループは大国トルメキアの人間中心主義
四つ目のグループはトルメキアと対立関係にあるドルクなんちゃら連合
この三つのグループはうまく共生していたのだが、ある地方が非常に大きな力を手に入れてしまい、勢力均衡が崩れてしまう。そこでナウシカのグループとトルメキアは協力して、四つ目のグループに対抗しようとする。その四つ目のグループの国に行くには、三つ目の自然主義のグループがいる地域を横断しなければならない。
ナウシカはその自然主義に触れ、その影響を受け、トルメキアに戦争をやめさせようとする。
ってゆう設定やったはず
で、このセッションで宗教は共通の価値観を持った共同体みたいな話やったと思う
近代人と主義が酷似しているのが、トルメキアの人間中心主義だ。
そのトルメキアでは宗教が欠落していて、自らの利益しか求めず、自らのコミュニティも大切にしない。
というレトリックで宗教が欠落しているトルメキアを批判している。
そしてトルメキアとは正反対の森の人を肯定している。
森の人はコミュニティの掟を厳守する。
個は全体のために、全体は個のためにということが彼らの思想だ。
発表していたグループはこの森の人の意見が大切だと言っている。
しかし、この全体主義では逸脱は禁じられている。
もしも逸脱した場合どうなるのか。
原作ではその場面は触れらてはいない。
全体のために個人が犠牲になる議論はもうし終わったはずだ。
そこをもうちょっと考えてほしかった。
しかしこの発表では、統一の宗教、思想の崩壊によって自然環境が破壊されたというレトリックが新しかった。その点でこの発表を評価したい。
2010年10月25日月曜日
難民映画祭 振り返る
自分は難民問題に多少は問題意識があるが、強烈な問題意識があるということではない。
でもなんだかんだで大学生活において難民問題と毎年何らかの形で関わっている。
自分が所属しているクラブ・ジョーディは世界難民の日である6月20日に合わせて難民問題に関するイベントを毎年開催している。
一回生の時はキャンパス内の写真展のスタッフ。
二回生は大阪に出て募金活動。
三回生は流れでイオンモール神戸北で写真展とミニWS。
ほんまに毎年関わってる。強烈な問題意識はないけど。
この映画も偶々日が空いてたから来てみようみたいな
難民問題はどうにかせんとあかんけど、自分なりの解決策が見えてこないからそんなに興味が持てないのかなと今になって思う。これらのイベントを通して、参加者の国際問題に取り組むきっかけになればなと思ってイベントを作ってきた気がする。やっぱ主催者は問題意識持っとかなあかんな。話してもまとまってないし、何よりやっぱ熱意が無かったら参加者の心に思いは届かんわ。中途半端な気持ちでイベントやってたことは正直否定できん。反省。
まぁ映画のことを振り返ろう!!!w
二本続けて映画みたからやっぱ疲れた。
二本ともめっちゃ心に訴えかけてくるものだった。
移民大国アメリカでさえ、難民の扱いは非常にひどかった。
閉鎖的な日本だったらもっとひどいものだろう。
善良な人間でも不法入国者として扱われ、拘置所かな?なんせ自由な生活が出来なくなる。
ほんまに大問題やと思う。
解決出来たらいいなと思う。
けれど、これは今の自分の解決すべき問題ではないと思ってしまう。
映画を見たせいか、心の部分で難民問題を見てしまう。
頭で見れていない。
頭で考えられることが出来たら、きっと難民問題に強烈な問題意識を持つだろう。
そのときまでは、今ある自分の問題意識を深め、その問題を解決しようと思う
でもなんだかんだで大学生活において難民問題と毎年何らかの形で関わっている。
自分が所属しているクラブ・ジョーディは世界難民の日である6月20日に合わせて難民問題に関するイベントを毎年開催している。
一回生の時はキャンパス内の写真展のスタッフ。
二回生は大阪に出て募金活動。
三回生は流れでイオンモール神戸北で写真展とミニWS。
ほんまに毎年関わってる。強烈な問題意識はないけど。
この映画も偶々日が空いてたから来てみようみたいな
難民問題はどうにかせんとあかんけど、自分なりの解決策が見えてこないからそんなに興味が持てないのかなと今になって思う。これらのイベントを通して、参加者の国際問題に取り組むきっかけになればなと思ってイベントを作ってきた気がする。やっぱ主催者は問題意識持っとかなあかんな。話してもまとまってないし、何よりやっぱ熱意が無かったら参加者の心に思いは届かんわ。中途半端な気持ちでイベントやってたことは正直否定できん。反省。
まぁ映画のことを振り返ろう!!!w
二本続けて映画みたからやっぱ疲れた。
二本ともめっちゃ心に訴えかけてくるものだった。
移民大国アメリカでさえ、難民の扱いは非常にひどかった。
閉鎖的な日本だったらもっとひどいものだろう。
善良な人間でも不法入国者として扱われ、拘置所かな?なんせ自由な生活が出来なくなる。
ほんまに大問題やと思う。
解決出来たらいいなと思う。
けれど、これは今の自分の解決すべき問題ではないと思ってしまう。
映画を見たせいか、心の部分で難民問題を見てしまう。
頭で見れていない。
頭で考えられることが出来たら、きっと難民問題に強烈な問題意識を持つだろう。
そのときまでは、今ある自分の問題意識を深め、その問題を解決しようと思う
2010年10月23日土曜日
いい旅♪神気分 振り返る
やっと終わったってゆうか終わってから二週間も経ってしまったけど、振り返ろう。
できたこと、またできなかったこと。
個人的にはやっぱり同じ団体の女の子との出会いが大きかった。彼女とはいつからかわからへんけど、宗教のことについて議論とゆうか自分の意見をぶつけあってたな〜
ほんでいつか忘れたけど彼女が自分はクリスチャンになりたいって聞いた時はびっくりした。
信仰が揺らいでいる状態から信仰が深まっていく過程をみることが出来てよかった。こんな経験はあんまないやろし
出会った頃は信仰に迷いがあったけど、今では敬虔なクリスチャンだとおれは思う。
この出会いが無かったらおれはこのイベントしてなかったやろな
初めてモスクに行ったときは緊張したな〜
結構直前にアポもとったしなw
電話でイマーンと話したけどあんま通じひんかったときの焦りはやばかった
それだけでやっていけるんやろかって思ってしまった。
モスクは神戸の北野にあるが、iPhoneがなかったらきっと辿り着けなかっただろうwジョブスに感謝ということだ
イマーンはとても優しくて一時間以上お話をしてくれた。
そのときの印象に残った話はちゃんとノートにメモってる。
アッラーにはたくさんの名前がある。その中に『平和』ってゆう名前もある。
当時のおれはイスラームに大しての偏見をかなり持っていた。
イスラームはタリバン、アルカイダを生んだ攻撃的な宗教なんだとゆう偏見を持ったいた。
なのに、アッラーの名前の一つに『平和』という名前があることには衝撃を受けた。
あと、アッラーに祈るときに横に座っている人に
「あなたに平和がありますように」って横に座っている人のために祈る。
この平和な感じはなんだろう?
自分がこれまで持っていた偏見はなんなんだろうって思った。
たくさんお話をしてくれたあと、イマーンがおれにお祈りしたら?って誘ってきてくれたからおれはお祈りをしてみた。
普段頭を地面に当てるってことなんか無い。
でもおれは純粋な気持ちで、邪な気持ちを持たずに祈った。
生活しているなかで誰かの平和を祈るほとんど時間はない。
世界平和を実現したい!!とかってゆうてる割に。
一日五回も祈ってるムスリムの方がおれより平和を願ってる。イスラームに対して偏見を持っている自分が恥ずかしくなったなー
ほんまにいい経験を出来たと思う。
。。。。。。
このままでは当日の振り返りが出来ない。
当日の振り返り!!!
当日は雨
めっちゃなえた。
でも原因はてるてる坊主を作っていないPTがいたからだ!!!
まぁ雨はしゃーない。
当日はほんま時間に追われていて、お話は全く耳に入ってこなかった。
しかも結構ぐだった。
でも参加者は楽しんでくれていた。
それでもういいかって思ってしまったw
あかんなー
ちゃんと反省会もせなな!
この企画をしていて、需要は絶対に大きいと確信した。
だから来年もしてくれたらな〜って思ってるけど、なかなか難しいかなw
まぁ来年もし開催したら絶対行きたいなー
純粋に参加者として行きたいなー
できたこと、またできなかったこと。
個人的にはやっぱり同じ団体の女の子との出会いが大きかった。彼女とはいつからかわからへんけど、宗教のことについて議論とゆうか自分の意見をぶつけあってたな〜
ほんでいつか忘れたけど彼女が自分はクリスチャンになりたいって聞いた時はびっくりした。
信仰が揺らいでいる状態から信仰が深まっていく過程をみることが出来てよかった。こんな経験はあんまないやろし
出会った頃は信仰に迷いがあったけど、今では敬虔なクリスチャンだとおれは思う。
この出会いが無かったらおれはこのイベントしてなかったやろな
初めてモスクに行ったときは緊張したな〜
結構直前にアポもとったしなw
電話でイマーンと話したけどあんま通じひんかったときの焦りはやばかった
それだけでやっていけるんやろかって思ってしまった。
モスクは神戸の北野にあるが、iPhoneがなかったらきっと辿り着けなかっただろうwジョブスに感謝ということだ
イマーンはとても優しくて一時間以上お話をしてくれた。
そのときの印象に残った話はちゃんとノートにメモってる。
アッラーにはたくさんの名前がある。その中に『平和』ってゆう名前もある。
当時のおれはイスラームに大しての偏見をかなり持っていた。
イスラームはタリバン、アルカイダを生んだ攻撃的な宗教なんだとゆう偏見を持ったいた。
なのに、アッラーの名前の一つに『平和』という名前があることには衝撃を受けた。
あと、アッラーに祈るときに横に座っている人に
「あなたに平和がありますように」って横に座っている人のために祈る。
この平和な感じはなんだろう?
自分がこれまで持っていた偏見はなんなんだろうって思った。
たくさんお話をしてくれたあと、イマーンがおれにお祈りしたら?って誘ってきてくれたからおれはお祈りをしてみた。
普段頭を地面に当てるってことなんか無い。
でもおれは純粋な気持ちで、邪な気持ちを持たずに祈った。
生活しているなかで誰かの平和を祈るほとんど時間はない。
世界平和を実現したい!!とかってゆうてる割に。
一日五回も祈ってるムスリムの方がおれより平和を願ってる。イスラームに対して偏見を持っている自分が恥ずかしくなったなー
ほんまにいい経験を出来たと思う。
。。。。。。
このままでは当日の振り返りが出来ない。
当日の振り返り!!!
当日は雨
めっちゃなえた。
でも原因はてるてる坊主を作っていないPTがいたからだ!!!
まぁ雨はしゃーない。
当日はほんま時間に追われていて、お話は全く耳に入ってこなかった。
しかも結構ぐだった。
でも参加者は楽しんでくれていた。
それでもういいかって思ってしまったw
あかんなー
ちゃんと反省会もせなな!
この企画をしていて、需要は絶対に大きいと確信した。
だから来年もしてくれたらな〜って思ってるけど、なかなか難しいかなw
まぁ来年もし開催したら絶対行きたいなー
純粋に参加者として行きたいなー
2010年9月26日日曜日
「グレゴリー・J・ライリー 神の河 キリスト教起源史」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4791759907/ref=oss_product
古代宗教からギリシャ、ユダヤ、ゾロアスター教そして科学技術の発展による宗教世界にどのような変化をもたらしたかということが書いてある本だ。
ギリシャでは神は人間と同じように肉体を持っている。人間と同じように嫉妬とか恋愛とかをする。普通に人間やなー
ゾロアスター教は善と悪ってゆう二元論で有名。それまでは善と悪ってゆう考えがなくて、神のきまぐれとか、神に感情があってそれによって人間にとって悪影響を与えるみたいなことがあった。でもゾロアスター教の二元論によって神と悪という問題が生まれた。その影響で終末論が生まれた。
科学の発展はそれまでの常識を覆した。神は雲の上にいるって思ってたけど、雲の上には宇宙があって、その宇宙も地球を中心ではないってゆうこと。
神は一体どこにおるんだーってことになる
本の中ではもっと詳しく書かれてるけど、こんなもんでw
ユダヤ教の人々はイスラエルの復興を絶えず願っていて、救世主とはダビデのように諸外国からイスラエルを守ったり、諸外国を打ち負かす人を救世主だと考えていた。イスラエルは大国であるギリシャやエジプトの脅威にいつも脅かされていた。そういう人々にとっての救世主が国を守ってくれる人だと考える道理も分かる。
だからこそ、イエスの言葉が印象的だった。
今驕っている者はいつか貧乏になるから不幸だ。
そして今貧乏な者はいつか幸せになるから幸せだ。
みたいなことを言う。
おれはちなみに熱心じゃないけど、仏教徒。
仏教にも諸行無常って言葉があって、驕れる者も久しからず、ただ風の前の塵に同じって言葉あるように、永遠なものは無いってゆうてる。
でも、そんなはっきりと幸福を言うのは違和感があるわー
てゆうか幸せってゆう概念も日本にあったもんではなかったんやろな
諸行無常がこの世の理だとおれは思う。
古代宗教からギリシャ、ユダヤ、ゾロアスター教そして科学技術の発展による宗教世界にどのような変化をもたらしたかということが書いてある本だ。
ギリシャでは神は人間と同じように肉体を持っている。人間と同じように嫉妬とか恋愛とかをする。普通に人間やなー
ゾロアスター教は善と悪ってゆう二元論で有名。それまでは善と悪ってゆう考えがなくて、神のきまぐれとか、神に感情があってそれによって人間にとって悪影響を与えるみたいなことがあった。でもゾロアスター教の二元論によって神と悪という問題が生まれた。その影響で終末論が生まれた。
科学の発展はそれまでの常識を覆した。神は雲の上にいるって思ってたけど、雲の上には宇宙があって、その宇宙も地球を中心ではないってゆうこと。
神は一体どこにおるんだーってことになる
本の中ではもっと詳しく書かれてるけど、こんなもんでw
ユダヤ教の人々はイスラエルの復興を絶えず願っていて、救世主とはダビデのように諸外国からイスラエルを守ったり、諸外国を打ち負かす人を救世主だと考えていた。イスラエルは大国であるギリシャやエジプトの脅威にいつも脅かされていた。そういう人々にとっての救世主が国を守ってくれる人だと考える道理も分かる。
だからこそ、イエスの言葉が印象的だった。
今驕っている者はいつか貧乏になるから不幸だ。
そして今貧乏な者はいつか幸せになるから幸せだ。
みたいなことを言う。
おれはちなみに熱心じゃないけど、仏教徒。
仏教にも諸行無常って言葉があって、驕れる者も久しからず、ただ風の前の塵に同じって言葉あるように、永遠なものは無いってゆうてる。
でも、そんなはっきりと幸福を言うのは違和感があるわー
てゆうか幸せってゆう概念も日本にあったもんではなかったんやろな
諸行無常がこの世の理だとおれは思う。
2010年9月19日日曜日
いい旅神気分♪
世界貿易センタービルの跡地の近所に
モスクを立てる計画があって、
一部のアメリカ人が建設反対運動をした。
9.11ぐらいにコーランを焼くってゆった牧師もいた。
でも、なんか違うなーと思う。
モスクは人が集まる所
コーランはイスラム教徒が読む本
人が集まる所、人が読む物
実際に人に会ってみたらいいんじゃないんか?
って思って、こんなイベントを作ってみました!!!!
以下転送歓迎!!
こんにちは!
国際交流・協力支援団体CLUB GEORDIEです。
突然ですが、モスクとか教会とか
お寺とかに行ったことってありますか?
『実家は仏教だけど仏教について自分はよくわからない。』
『学校でキリスト教の授業を受けているけど、
実際に教会とか行ったことない!』
『イスラム教ってイメージが…』
『でも、ちょっと知りたい!』
こんなことを思ったことはありませんか?
CLUB GEORDIEでは、そんな人たちにぴったりの
イベントを開催します!
その名も『いい旅、神(戸)気分♪』
これは、異文化色の強い神戸のまちにある
教会、モスク、神社を1日で巡り、
そこで牧師さんなどのお話を聞いて
異文化や宗教について知ろう!というイベントです。
宗教について特に知識がない人でも、
少しでも興味があれば気軽に参加できます!
宗教を持たない日本人の大学生から、
自分の宗教を持った留学生も参加する予定なので、いろんな人の考えを聞くこともできます♪
【実施日】10月9日(土)
【実施場所】神戸ムスリムモスク、神戸聖愛教会、東福寺
【時間、場所】10時半JR三ノ宮中央口集合、17時まで
【参加費】500円
【持ち物】:昼食、筆記用具
【参加申込】club.geordie@gamil.com
モスクを立てる計画があって、
一部のアメリカ人が建設反対運動をした。
9.11ぐらいにコーランを焼くってゆった牧師もいた。
でも、なんか違うなーと思う。
モスクは人が集まる所
コーランはイスラム教徒が読む本
人が集まる所、人が読む物
実際に人に会ってみたらいいんじゃないんか?
って思って、こんなイベントを作ってみました!!!!
以下転送歓迎!!
こんにちは!
国際交流・協力支援団体CLUB GEORDIEです。
突然ですが、モスクとか教会とか
お寺とかに行ったことってありますか?
『実家は仏教だけど仏教について自分はよくわからない。』
『学校でキリスト教の授業を受けているけど、
実際に教会とか行ったことない!』
『イスラム教ってイメージが…』
『でも、ちょっと知りたい!』
こんなことを思ったことはありませんか?
CLUB GEORDIEでは、そんな人たちにぴったりの
イベントを開催します!
その名も『いい旅、神(戸)気分♪』
これは、異文化色の強い神戸のまちにある
教会、モスク、神社を1日で巡り、
そこで牧師さんなどのお話を聞いて
異文化や宗教について知ろう!というイベントです。
宗教について特に知識がない人でも、
少しでも興味があれば気軽に参加できます!
宗教を持たない日本人の大学生から、
自分の宗教を持った留学生も参加する予定なので、いろんな人の考えを聞くこともできます♪
【実施日】10月9日(土)
【実施場所】神戸ムスリムモスク、神戸聖愛教会、東福寺
【時間、場所】10時半JR三ノ宮中央口集合、17時まで
【参加費】500円
【持ち物】:昼食、筆記用具
【参加申込】club.geordie@gamil.com
契機
中学ぐらいの時にヒトラーの映像を見て、
それに衝撃を受けた。
その時にヒトラーに興味を持ったかどうかは
覚えてない。
ヒトラーが車に乗って、手を挙げたら
熱狂的な民衆がヒトラーに向かって
敬礼をして、車に群がっている風景。
ヒトラーに敬礼している民衆が
おれには幸せそうに見えた。
ヒトラーによる専制的な時代だったと思うけど、
民衆が幸せと感じるならそれでいいんじゃないかと思った。
まぁメディアによる洗脳があったことは
あんま知らんかったから、それを抜きにして
ヒトラーはすごいと当時思っていた。
その状況がまるで宗教のように思えた。
そこに宗教に興味を持ったかも知れない。
宗教にいつ興味を持ったか覚えていないw
それに衝撃を受けた。
その時にヒトラーに興味を持ったかどうかは
覚えてない。
ヒトラーが車に乗って、手を挙げたら
熱狂的な民衆がヒトラーに向かって
敬礼をして、車に群がっている風景。
ヒトラーに敬礼している民衆が
おれには幸せそうに見えた。
ヒトラーによる専制的な時代だったと思うけど、
民衆が幸せと感じるならそれでいいんじゃないかと思った。
まぁメディアによる洗脳があったことは
あんま知らんかったから、それを抜きにして
ヒトラーはすごいと当時思っていた。
その状況がまるで宗教のように思えた。
そこに宗教に興味を持ったかも知れない。
宗教にいつ興味を持ったか覚えていないw
2010年8月24日火曜日
寺巡り
今日は三件寺を巡った。
国際交流・国際協力支援団体CLUB GEORDIEという
団体に入っていて、そこでモスク、教会、寺を
ウォークラリーするみたいな企画を今作っていて
それに協力してくれるお寺さんを探しに行った。
一件目は撃沈。
自分のプレゼンスキルの無さに失望。
二件目は協力していただけた!!!
三件目も!!!!
二件目に伺ったお寺は曹洞宗のお寺だった。
そこの住職さんのお話を聞いたり自分が質問をしたりで、
今日は地蔵盆にも関わらず一時間半ぐらいお話をしていただいた。
曹洞宗の教義の特徴は「只管打座」だ。
「只管」という意味は「ただひたすら」で、
「打座」は読んで字の如く「座禅に打ち込む」こと。
それを実行することにより、成仏しようと考える。
しかしお寺ではただひたすら座禅をする時間はない。
飯を作らなアカンし、掃除せなあかんし、
なんせやることがたくさんあって、
「只管打座」することは難しい!!!
そして人には役割、仕事がある。
その自分の仕事をただひたすらすることが大事で、
自分の役割を全うする、
今に集中して生活していくことが大事なんだとおっしゃった。
実行に移すことにより、自分の仕事をこなす、つまり善を
増やすことにより成仏するんだと教えてくれた。
生活すべてが、修行なのだ!!!!
なんかかっこいいW
あと一つ。
仏教における救済だ。
仏教で救済って個人的にはピンと来ない。
キリスト教とかイスラム教とかなら、あーって思うけど。
それについての話し。
人間は生きている限り、爪が生えてくる。
同じように煩悩が心から毛のように生えてくる。
爪は長くなったら切らなければならない。
それでは心に生えた煩悩の毛はどうやったら
消えるのだろう?
仏教では煩悩を消すことは不可能だ。
例えば何かを見て美しいと思うと、
それは何かと比べてそれが美しくて、
比べた瞬間に煩悩は生まれるのだ。
だから仏教では煩悩は消えない。
それを爪を切るみたいに
減らすということをする。
煩悩は消せないと言い切った所に
仏教の良い意味での開き直りが
自分に合っていると思ったり。
文章にしても全然だめだー
国際交流・国際協力支援団体CLUB GEORDIEという
団体に入っていて、そこでモスク、教会、寺を
ウォークラリーするみたいな企画を今作っていて
それに協力してくれるお寺さんを探しに行った。
一件目は撃沈。
自分のプレゼンスキルの無さに失望。
二件目は協力していただけた!!!
三件目も!!!!
二件目に伺ったお寺は曹洞宗のお寺だった。
そこの住職さんのお話を聞いたり自分が質問をしたりで、
今日は地蔵盆にも関わらず一時間半ぐらいお話をしていただいた。
曹洞宗の教義の特徴は「只管打座」だ。
「只管」という意味は「ただひたすら」で、
「打座」は読んで字の如く「座禅に打ち込む」こと。
それを実行することにより、成仏しようと考える。
しかしお寺ではただひたすら座禅をする時間はない。
飯を作らなアカンし、掃除せなあかんし、
なんせやることがたくさんあって、
「只管打座」することは難しい!!!
そして人には役割、仕事がある。
その自分の仕事をただひたすらすることが大事で、
自分の役割を全うする、
今に集中して生活していくことが大事なんだとおっしゃった。
実行に移すことにより、自分の仕事をこなす、つまり善を
増やすことにより成仏するんだと教えてくれた。
生活すべてが、修行なのだ!!!!
なんかかっこいいW
あと一つ。
仏教における救済だ。
仏教で救済って個人的にはピンと来ない。
キリスト教とかイスラム教とかなら、あーって思うけど。
それについての話し。
人間は生きている限り、爪が生えてくる。
同じように煩悩が心から毛のように生えてくる。
爪は長くなったら切らなければならない。
それでは心に生えた煩悩の毛はどうやったら
消えるのだろう?
仏教では煩悩を消すことは不可能だ。
例えば何かを見て美しいと思うと、
それは何かと比べてそれが美しくて、
比べた瞬間に煩悩は生まれるのだ。
だから仏教では煩悩は消えない。
それを爪を切るみたいに
減らすということをする。
煩悩は消せないと言い切った所に
仏教の良い意味での開き直りが
自分に合っていると思ったり。
文章にしても全然だめだー
2010年8月19日木曜日
仏教と死 その2
以前も仏教と死についての日記を書いた。
仏教は死ぬと何かに生まれ変わるから、
不死というのは可能なのか、
そもそも不死は輪廻を否定しているのだから
矛盾しているということを書いた。
それと自分は寺、教会、モスクを回る
ウォークラリー形式のイベントを作っていて、
今日は寺とか教会にアポを取りに行ったり
企画の説明をしたりしに行った。
今日行ったお寺は協力は出来ないが
企画の趣旨に賛同してもらった。
とてもうれしい。
そこで時間があったので、
「仏教における不死とはなんですか?」
と住職の方に聞いてみた。
住職は、教義的な意味でなく、個人として
思うということを前提にすると
「不死とは、自分は死ぬけれども
自分というものは子供や子孫に受け継がれていく。
些細な出来事や出会いでも
その一つ一つが他人や何かに影響し
自分というものは他人の中にあり続ける。
これが不死ではないかと思う」
と答えてくださった。
自分本位の不死ではなく
他人の中に生きるという不死。
仏教はますます魅力的なものだな
と思った。
仏教は死ぬと何かに生まれ変わるから、
不死というのは可能なのか、
そもそも不死は輪廻を否定しているのだから
矛盾しているということを書いた。
それと自分は寺、教会、モスクを回る
ウォークラリー形式のイベントを作っていて、
今日は寺とか教会にアポを取りに行ったり
企画の説明をしたりしに行った。
今日行ったお寺は協力は出来ないが
企画の趣旨に賛同してもらった。
とてもうれしい。
そこで時間があったので、
「仏教における不死とはなんですか?」
と住職の方に聞いてみた。
住職は、教義的な意味でなく、個人として
思うということを前提にすると
「不死とは、自分は死ぬけれども
自分というものは子供や子孫に受け継がれていく。
些細な出来事や出会いでも
その一つ一つが他人や何かに影響し
自分というものは他人の中にあり続ける。
これが不死ではないかと思う」
と答えてくださった。
自分本位の不死ではなく
他人の中に生きるという不死。
仏教はますます魅力的なものだな
と思った。
2010年7月31日土曜日
思いやりと共生
思いやりと共生について。
イスラム教を例に出して考えてみた。
アッラーからの啓示を受けたムハンマドが
生きていた時の活動からイスラム教を理解する。
ムハンマドはメディナで啓示を受けて、
その教えを広めようとした。
メディナにいた時は小さいコミュニティにしか
教えを説いていなかった。
しかしメッカにムハンマドが
活動の場所を変えた時に、
さらに大きいコミュニティに対して
教えを説かねばならなかった。
その時に教えを的確に実行できるように
細かい決まりなどが出来たのではないか
という考えがあるらしい。
大きいコミュニティになると、
価値観の多様とかがあるから、
それをまとめるためのシステムが絶対に必要だ。
そう考えた時にイスラム教は、そのシステムを
イスラム法を用いることによって、
国という統治方法で、そのシステムを作ったのではないか。
それを実際に行っているのが
今あるイスラム国だろう。
だから共生のための宗教がイスラムなんじゃないか
って考えてることもある。
きっとイスラム教国も、今の世界の現状を憂いているだろう。
この今の現状をまとめるためにも世界を
一つのシステムによって統治しなければならない
って考えはしないのだろうか?
自分たちの宗教こそが共生に一番いいからとか
実際にイスラム教が発展していく過程で
たくさんの価値を包含してきたからって考えて、
イスラム教の国をもっと増やそう
今あるイスラム国を無くしたくはない
って考えるのかな?
これはイスラム教だけではなく、
すべての宗教に言える。
自分が一番正しいと思っていて、
それを広めるためならあんまり手段を選ばない。
そうじゃない!
共生は相手のことを思いやって初めて
成立するものだろう!
自分を曲げて相手を尊重することは
確かに難しい。
けど今はこれが、どんな分野においても一番求められてるやろう。
こうなりたい
こうしたい
イスラム教を例に出して考えてみた。
アッラーからの啓示を受けたムハンマドが
生きていた時の活動からイスラム教を理解する。
ムハンマドはメディナで啓示を受けて、
その教えを広めようとした。
メディナにいた時は小さいコミュニティにしか
教えを説いていなかった。
しかしメッカにムハンマドが
活動の場所を変えた時に、
さらに大きいコミュニティに対して
教えを説かねばならなかった。
その時に教えを的確に実行できるように
細かい決まりなどが出来たのではないか
という考えがあるらしい。
大きいコミュニティになると、
価値観の多様とかがあるから、
それをまとめるためのシステムが絶対に必要だ。
そう考えた時にイスラム教は、そのシステムを
イスラム法を用いることによって、
国という統治方法で、そのシステムを作ったのではないか。
それを実際に行っているのが
今あるイスラム国だろう。
だから共生のための宗教がイスラムなんじゃないか
って考えてることもある。
きっとイスラム教国も、今の世界の現状を憂いているだろう。
この今の現状をまとめるためにも世界を
一つのシステムによって統治しなければならない
って考えはしないのだろうか?
自分たちの宗教こそが共生に一番いいからとか
実際にイスラム教が発展していく過程で
たくさんの価値を包含してきたからって考えて、
イスラム教の国をもっと増やそう
今あるイスラム国を無くしたくはない
って考えるのかな?
これはイスラム教だけではなく、
すべての宗教に言える。
自分が一番正しいと思っていて、
それを広めるためならあんまり手段を選ばない。
そうじゃない!
共生は相手のことを思いやって初めて
成立するものだろう!
自分を曲げて相手を尊重することは
確かに難しい。
けど今はこれが、どんな分野においても一番求められてるやろう。
こうなりたい
こうしたい
2010年7月29日木曜日
仏教と不死の関係
仏教を興したブッダの話しから。
ブッダが悟った時に、ブッダは自分の悟りは
余人には自分の悟りは分からないからので
布教はせんとこって考えていた。
しかしブラフマンが現れ、
「ブッダがその悟りを広めてくれないと世界は終わってしまうよ。
確かにブッダの教えは難しいかもしれないけど、
理解してくれる人もいるよ」
とブラフマンがブッダに言い、ブッダは周りを見渡すと、
生まれつき資質がある人もいた。
そしてブッダは「不死を得る門は開かれた。云々」と言い、布教を始めた。
ここに大きな疑問がある。
ブッダにとって「生」は苦しみに他ならない。
生きている者は生老病死から逃れることは出来ない。
ブッダにとっての悟りはその「生」から逃れることが悟りの本質があるべきだ。
しかし「不死の門は開かれた」とあるが、これは一体どうゆうことだ!?
不死があるということは、
別離の苦しみ、嫉妬などの苦しみ、力が無くなる苦しみ
などからは逃れられないはずだ。
それともブッダが言った「不死」は一般的に考えられている「不死」とは違うのか。
一体なんなんだ。
一体なんなんだ。
もし、本当にブッダが「不死」を願っているなら、自分の仏教観は大きく変わるぜ。
ブッダが悟った時に、ブッダは自分の悟りは
余人には自分の悟りは分からないからので
布教はせんとこって考えていた。
しかしブラフマンが現れ、
「ブッダがその悟りを広めてくれないと世界は終わってしまうよ。
確かにブッダの教えは難しいかもしれないけど、
理解してくれる人もいるよ」
とブラフマンがブッダに言い、ブッダは周りを見渡すと、
生まれつき資質がある人もいた。
そしてブッダは「不死を得る門は開かれた。云々」と言い、布教を始めた。
ここに大きな疑問がある。
ブッダにとって「生」は苦しみに他ならない。
生きている者は生老病死から逃れることは出来ない。
ブッダにとっての悟りはその「生」から逃れることが悟りの本質があるべきだ。
しかし「不死の門は開かれた」とあるが、これは一体どうゆうことだ!?
不死があるということは、
別離の苦しみ、嫉妬などの苦しみ、力が無くなる苦しみ
などからは逃れられないはずだ。
それともブッダが言った「不死」は一般的に考えられている「不死」とは違うのか。
一体なんなんだ。
一体なんなんだ。
もし、本当にブッダが「不死」を願っているなら、自分の仏教観は大きく変わるぜ。
2010年6月13日日曜日
9.11の大きさ
http://www.economist.com/node/16322772?story_id=16322772&fsrc=scn/tw/te/rss/pe
要約すると、ムスリムが世界貿易センタービルの
近所にモスクを作ろうと計画していたけど、
ニューヨークの人達がそれに反対してるらしい。
今日自分が立案した宗教に関連するイベントの目標とかを
考える機会があって、そこでは
「偏見をなくしたい」とか「参加者が実際に信仰を持っている人と関わって欲しい」
ってゆう目標を立てたりした。
偏見とかを無くそうってゆう趣旨のイベントを作る。
このニューヨークの人たちにおれとか一緒に
イベントを作る人たちの思いって伝わるのか?
自分の家族が9.11に巻き込まれていたら、おれは
こうゆうイベントを作りたいって思えていたのか?
そんなことを思ったり。
ムスリムにとってモスクは祈りをするには不可欠な場所。
ニューヨークの人たちにとって世界貿易センタービルも
忘れられないことがあった場所。
どちらにとっても心から大切な場所。
悲しい事件だとゆうことを今更実感した。
要約すると、ムスリムが世界貿易センタービルの
近所にモスクを作ろうと計画していたけど、
ニューヨークの人達がそれに反対してるらしい。
今日自分が立案した宗教に関連するイベントの目標とかを
考える機会があって、そこでは
「偏見をなくしたい」とか「参加者が実際に信仰を持っている人と関わって欲しい」
ってゆう目標を立てたりした。
偏見とかを無くそうってゆう趣旨のイベントを作る。
このニューヨークの人たちにおれとか一緒に
イベントを作る人たちの思いって伝わるのか?
自分の家族が9.11に巻き込まれていたら、おれは
こうゆうイベントを作りたいって思えていたのか?
そんなことを思ったり。
ムスリムにとってモスクは祈りをするには不可欠な場所。
ニューヨークの人たちにとって世界貿易センタービルも
忘れられないことがあった場所。
どちらにとっても心から大切な場所。
悲しい事件だとゆうことを今更実感した。
2010年4月20日火曜日
神戸モスクに行ったこと
僕は国際交流・国際協力支援団体CLUB GEORDIEに所属していて、そこでイスラーム、キリスト教、仏教を取り扱うイベントを作ります。作ると言ってもイスラームのことは全然わからんし、ムスリムの人に会いたい!!って話になって、そこで今日は神戸にあるモスク(イスラム教徒にとっての教会のようなもの)に行ってきた。
そのモスクは神戸の生田神社のすぐ近くにあって、日本で一番古いモスクらしい。
しかもその近くにユダヤ教の教会とか、プロテスタントやカトリックの教会もあった。
それに加え寺もあるという密集地帯。
今度はユダヤ教の教会に行こうと考えながら。
事前にアポを取っていて、牧師さん(?)から話を聞くことができた。
自分はやっぱりメディアの影響かなんかでイスラム教徒のことをちょっと怖いと思っている
と正直に言うてみた。そしたら牧師さんが
「原理主義者たちは間違っている。
アッラーには99の名前があって、その中の1つにアッサラームという言葉がある。
その意味は平和という意味です。」
て言ってた。また
「メッカに向かってお祈りをするとき、隣に座っている人の
平和のために祈る祈りもあります。」
とも言ってた。
はっきりとおれはイスラム教のことやキリスト教のことを
知らんけど、確実に平和を祈る宗教なんやなと思った。
その牧師も原理主義者のことについて聞くってゆう
ナイーブな所も全部答えてもくれた。
あと日本人の若者は宗教に対して無関心な点について尋ねてみたら
「宗教の無い生活はdryだ。
生きるために食べ物を食べる。これは体を正常に保つため。
そして魂のために信心を持つ。これは魂のために。
魂のために何もしなかったら、dryになってしまう。」
と。腹が減っては戦どころか何も出来んのに
魂のために何もしてないのはそら大変だ。
だから自殺が多いのでは?と牧師はおっしゃった。
一日に5回お祈りの時間があって、
僕たちはちょうどお昼のお祈りに立ち会わせてもらうことになった。
男は一階、女の子は二階。
男は僕だけだったので、僕だけ一階でお祈りを見学させてもらった。
見ていたら牧師の先生が
「してみたら?」
って言うてきたからしてみることになった。
周りにはイスラム教徒の人が4、5人。
おれは明らかに浮いていたけど、やってみた。
メッカに向かって頭を絨毯につける。
普段せんような体勢やから頭に血が上る。
どくどくと音を立てて血が流れているのがすごい分かった。
最初はどうやってしたらえええかわからんくて、ちょっと見ながらやってたけど
慣れてきたら自分のペースで何回も頭を絨毯につける。
わかりあえるように
世界が平和になりますように
祈ることとか日常生活で無いことやから
きっと非日常な感覚を味わうのかなと思ったけど、
そんなことなかった。
周りのイスラム教徒は毎日来てるらしい。
その人たちから出る雰囲気が祈りを
日常にしてくれたというか、日常を見せてくれたとゆうか。
体験してみて、イスラム教が身近になった。
他の神に対して、祈ること。
理由ははっきりせんけど
すごく気持ちよかった。
こんな感触を世界中の人が味わえば
宗教問題は一歩前に進めると思う。
ほんま行ってよかった。
みなさんもぜひ。
そのモスクは神戸の生田神社のすぐ近くにあって、日本で一番古いモスクらしい。
しかもその近くにユダヤ教の教会とか、プロテスタントやカトリックの教会もあった。
それに加え寺もあるという密集地帯。
今度はユダヤ教の教会に行こうと考えながら。
事前にアポを取っていて、牧師さん(?)から話を聞くことができた。
自分はやっぱりメディアの影響かなんかでイスラム教徒のことをちょっと怖いと思っている
と正直に言うてみた。そしたら牧師さんが
「原理主義者たちは間違っている。
アッラーには99の名前があって、その中の1つにアッサラームという言葉がある。
その意味は平和という意味です。」
て言ってた。また
「メッカに向かってお祈りをするとき、隣に座っている人の
平和のために祈る祈りもあります。」
とも言ってた。
はっきりとおれはイスラム教のことやキリスト教のことを
知らんけど、確実に平和を祈る宗教なんやなと思った。
その牧師も原理主義者のことについて聞くってゆう
ナイーブな所も全部答えてもくれた。
あと日本人の若者は宗教に対して無関心な点について尋ねてみたら
「宗教の無い生活はdryだ。
生きるために食べ物を食べる。これは体を正常に保つため。
そして魂のために信心を持つ。これは魂のために。
魂のために何もしなかったら、dryになってしまう。」
と。腹が減っては戦どころか何も出来んのに
魂のために何もしてないのはそら大変だ。
だから自殺が多いのでは?と牧師はおっしゃった。
一日に5回お祈りの時間があって、
僕たちはちょうどお昼のお祈りに立ち会わせてもらうことになった。
男は一階、女の子は二階。
男は僕だけだったので、僕だけ一階でお祈りを見学させてもらった。
見ていたら牧師の先生が
「してみたら?」
って言うてきたからしてみることになった。
周りにはイスラム教徒の人が4、5人。
おれは明らかに浮いていたけど、やってみた。
メッカに向かって頭を絨毯につける。
普段せんような体勢やから頭に血が上る。
どくどくと音を立てて血が流れているのがすごい分かった。
最初はどうやってしたらえええかわからんくて、ちょっと見ながらやってたけど
慣れてきたら自分のペースで何回も頭を絨毯につける。
わかりあえるように
世界が平和になりますように
祈ることとか日常生活で無いことやから
きっと非日常な感覚を味わうのかなと思ったけど、
そんなことなかった。
周りのイスラム教徒は毎日来てるらしい。
その人たちから出る雰囲気が祈りを
日常にしてくれたというか、日常を見せてくれたとゆうか。
体験してみて、イスラム教が身近になった。
他の神に対して、祈ること。
理由ははっきりせんけど
すごく気持ちよかった。
こんな感触を世界中の人が味わえば
宗教問題は一歩前に進めると思う。
ほんま行ってよかった。
みなさんもぜひ。
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