以前も仏教と死についての日記を書いた。
仏教は死ぬと何かに生まれ変わるから、
不死というのは可能なのか、
そもそも不死は輪廻を否定しているのだから
矛盾しているということを書いた。
それと自分は寺、教会、モスクを回る
ウォークラリー形式のイベントを作っていて、
今日は寺とか教会にアポを取りに行ったり
企画の説明をしたりしに行った。
今日行ったお寺は協力は出来ないが
企画の趣旨に賛同してもらった。
とてもうれしい。
そこで時間があったので、
「仏教における不死とはなんですか?」
と住職の方に聞いてみた。
住職は、教義的な意味でなく、個人として
思うということを前提にすると
「不死とは、自分は死ぬけれども
自分というものは子供や子孫に受け継がれていく。
些細な出来事や出会いでも
その一つ一つが他人や何かに影響し
自分というものは他人の中にあり続ける。
これが不死ではないかと思う」
と答えてくださった。
自分本位の不死ではなく
他人の中に生きるという不死。
仏教はますます魅力的なものだな
と思った。
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