2010年8月19日木曜日

仏教と死 その2

以前も仏教と死についての日記を書いた。


仏教は死ぬと何かに生まれ変わるから、
不死というのは可能なのか、
そもそも不死は輪廻を否定しているのだから
矛盾しているということを書いた。


それと自分は寺、教会、モスクを回る
ウォークラリー形式のイベントを作っていて、
今日は寺とか教会にアポを取りに行ったり
企画の説明をしたりしに行った。


今日行ったお寺は協力は出来ないが
企画の趣旨に賛同してもらった。
とてもうれしい。

そこで時間があったので、
「仏教における不死とはなんですか?」
と住職の方に聞いてみた。

住職は、教義的な意味でなく、個人として
思うということを前提にすると
「不死とは、自分は死ぬけれども
自分というものは子供や子孫に受け継がれていく。
些細な出来事や出会いでも
その一つ一つが他人や何かに影響し
自分というものは他人の中にあり続ける。
これが不死ではないかと思う」

と答えてくださった。



自分本位の不死ではなく
他人の中に生きるという不死。


仏教はますます魅力的なものだな
と思った。

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