思いやりと共生について。
イスラム教を例に出して考えてみた。
アッラーからの啓示を受けたムハンマドが
生きていた時の活動からイスラム教を理解する。
ムハンマドはメディナで啓示を受けて、
その教えを広めようとした。
メディナにいた時は小さいコミュニティにしか
教えを説いていなかった。
しかしメッカにムハンマドが
活動の場所を変えた時に、
さらに大きいコミュニティに対して
教えを説かねばならなかった。
その時に教えを的確に実行できるように
細かい決まりなどが出来たのではないか
という考えがあるらしい。
大きいコミュニティになると、
価値観の多様とかがあるから、
それをまとめるためのシステムが絶対に必要だ。
そう考えた時にイスラム教は、そのシステムを
イスラム法を用いることによって、
国という統治方法で、そのシステムを作ったのではないか。
それを実際に行っているのが
今あるイスラム国だろう。
だから共生のための宗教がイスラムなんじゃないか
って考えてることもある。
きっとイスラム教国も、今の世界の現状を憂いているだろう。
この今の現状をまとめるためにも世界を
一つのシステムによって統治しなければならない
って考えはしないのだろうか?
自分たちの宗教こそが共生に一番いいからとか
実際にイスラム教が発展していく過程で
たくさんの価値を包含してきたからって考えて、
イスラム教の国をもっと増やそう
今あるイスラム国を無くしたくはない
って考えるのかな?
これはイスラム教だけではなく、
すべての宗教に言える。
自分が一番正しいと思っていて、
それを広めるためならあんまり手段を選ばない。
そうじゃない!
共生は相手のことを思いやって初めて
成立するものだろう!
自分を曲げて相手を尊重することは
確かに難しい。
けど今はこれが、どんな分野においても一番求められてるやろう。
こうなりたい
こうしたい
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