2012年2月20日月曜日

クラクフのユダヤ・ゲットー

世界ふれあい町歩きという番組がある。世界各地の伝統的な町を散歩して地元の人たちとその地域の歴史とか風俗を話すってゆう内容。
自分の父親がその番組の大ファンで、毎回DVDに保存している。その番組でポーランドのクラクフを散策した回があった。市場を回って、昔からある店で話しを聞いたり、古くからある建造物を訪問したり。クラクフは幸運なことに第一次、第二次両大戦の被害をほとんど受けていない。実際に自分もフラフラしたけど、本当に美しい町だった。
その番組の中でも大戦の影響を受けなくて本当に幸運だったみたいなことを言ってた老人もいた。ここまでなら、いい意味で本当に美しい町だったなって感じで終わりだったろう。でも地球の歩き方にかつてのヨーロッパ最大のユダヤ人居住区があったことを知った。ユダヤ人地区には時間があれば行こうっ感じの軽い感じだった。

ヴァヴェル城というこれまた美しい城を訪問したあと、時間があったからとりあえず行ってみることになった。
ユダヤ人居住区だから何かしら建物がユダヤっぽいのかなと思ったらそんなこともなく、クラクフの美しい街並みだった。違う所はちょろっと建物が傷んでたぐらいだった。ユダヤ人居住区って書かれた表札が無かったら分からないぐらい。多分ユダヤ人っぽくしたら周囲の景観が崩れるからユダヤ人がユダヤ文化に則って作りたくても無理やったんやろな。景観とかなんじゃそれ。いま景観が悪くなるからモスク建てるなって問題がある。時代は繰り返されてる。

とりあえずシナゴーグ、ユダヤ教の教会を探した。それはすぐに見つかったけど、シナゴーグの横にナチス反対だとか、ユダヤ教のシンボルである六芒星に落書きされてるレストランがあった。レストランも落書きを消せばいいのにと思った。ユダヤ人も平等な権利というか、ユダヤ人の差別が本当にあるなんて思いたくなかったから。人種とか宗教で差別される現実なんか見たくなかったから。

もうこの時点で自分はもうユダヤ人の現状が分かったからある程度ユダヤ人居住区のことは満足した。地球の歩き方にシナゴーグを改修してミュージアムにしてる施設を見つけてしまった。見つけたからには入らなあかん。おしっこ漏れそうやったけど入った。中には昔から使われてる祭祀用の冠とかロウソク立てとかがたくさんあった。ユダヤ人が辛い目にあったことを展示してるのかなと思ってたから想像してたのとは違うなーと思いつつ施設内を歩き回った。

人物の写真と長い英文とポーランド語が書いてるポスターが10枚ぐらいあった。英文なんか読むのだるいとか思ったけど、頑張って一人分だけ読んでみようと思った。

その人は学校の先生らしかった。学歴とか人柄とかを書いてた。で最後にドイツ兵に殺されたって書いてあった。マジかと思って二人目読んだら二人目はナチスの秘密警察ゲシュタポに捕まって死んだと書いてあった。三人目もドイツ兵に殺されてた。10枚ぐらいあったの全部読んだ。海外に亡命した人、ドイツ兵から必死に隠れてた人、殺された人。全員ドイツ兵もしくはゲシュタポに追われたり殺されたりしていた。

そのポスターは全員学校の先生だった。学歴、人柄が載ってた。でも先生ってこの10数人の他にもいっぱいおったはず。
アウシュビッツでは150万人ぐらい殺されたらしい。もし自分が死んだら小学校、高校、大学の友人達が何らかのことを感じるだろう。でほんのちょろっと記憶に残ると思う。でも150万人ぐらい死んだら、自分を知ってる人も死んでしまって、誰も自分を知らんないことになる。

ポスターに書いてあった10数人のことは誰が覚えたのだろう。10数人の先生のポスターに書かれてあることは全部違っていた。優しい先生もいれば、すごく厳しい先生もいたって書いてあった。

誰からも忘れられて、子どもも作っていなくて、命の連鎖を止めさせられた人が何人いたのだろう。記憶に残らなくても、子どもを作ることによって自分は存在すると俺は思っている。この連鎖を止めさせられてしまったら自分は完全に消える。

誰からも忘れられ、完全に無くなる。150万人っていう数に溺れてる人が何人いるんだろう。
なんかもう虚しくなった。

友人がめし食おうって言うからユダヤ人居住区で飯食った。具が全く無いムラサキ色のスープ飲んだ。美味。

明日アウシュビッツに行く。
どうなるんやろ。
今日は悲しみの旅だった。
とか言いながらブダペストで買った最高にうまいトカイワイン飲みました。

皆様こちらは夜の0時半です。
おやすみなさい

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