2011年8月2日火曜日

持続可能性と自然の摂理

原発の事故が起こって以後、持続可能エベルギーの議論が以前よりも一層増えたと思う。太陽光や風力や地熱などの自然のエネルギーを有効に使って、環境にもいいエネルギーを使おうというものだ。
自分も少し前までは、こういった取り組みはすばらしいものだと思っていた。人間達が使うエネルギーを環境に負担をかけることなく、人間達も豊かな生活を営むことが出来ると思ったからだ。しかも太陽光や風というものは、人間がいる限りずっとあり続けるものだと思うし。
もし、自然エネルギーが現在よりも爆発的に普及出来たなら、人間達はずっとあり続けるんだなと思う。

自然の摂理。自然のルールだと自分は決めつけている。
自然のルールがあったからこそ、生物はこれまでずっと生き続けることが出来たんだろう。自然の摂理にぎりぎりの所で歯向かって、その生物なりの進化を果たしたり、生きていくなかで工夫を凝らしてきたんだろうと思う。
自分はばりばりの文系だから、あまり理科とか生物のことは分からんけど、食物連鎖とかが持続可能なシステムの一つだと思うんですよ。知らんけど。

食って食われて、食ったやつもいずれ食われて。
人も焼かれて骨が分け分からん微生物みたいなモノに食われるんやろう

恐竜が死んだのは隕石の衝突とかなんだかんだ言われているけど、結局その後生き残って、進化したから今も生物が生きているんやろ
なにかしらの危機にあって、その時代に栄華を誇った生物は死に絶えて、その後進化した新しい生物が生まれたんだろ


人間達に危機は来るのか??
人間の時代ってもう終わっているんじゃないんか??
滅びを受け入れてこそ、生きて行けるのではないんか??
時代の寵児でもないのに、思い上がっていはしないか??

持続可能なんて言葉は、自然のルールに反するのではないのか??

ということを伝えたいんですが、うーん説明がへたくそ
みなさま、どう思いますか??

2011年7月6日水曜日

ちいさなこと

自分はピザのアルバイトでピザの宅配をしている。いつも原チャでバーっと運転してます。でも信号待ちとかはめっちゃ暇やから、ぼーっとしてる。

昨日も信号待ちしていて、ぼーっとしてた。
そしたらおばあさんが犬を引き連れながら歩道にあるゴミを拾っていた。
こんな人見たのは久しぶりやったから、なんでこの人はゴミ拾いをしてるんかなって考えてたら、その人に釘付けになっていた。
おばあさんがおれの視線に気付き、こちらを見てきた。慌てて目を逸らしたけど、おばあさんはおれを見てすぐにまたゴミ拾いを始めた。

信号が変わるころには、おばあさんがゴミ拾った辺りの歩道には、ゴミが無くなっていた。
でおれはまたぶーんとお客さんの家に向かった。


なんであのおばあさんはゴミ拾いをしてたのか?
「世界を変えるためには、市民ひとりひとりが行動を起こさねばならない」とか
「環境問題を解決したいんだ」とか
そういう思いを持ってゴミ拾いをしていたんじゃないと、思った。


きっとゴミが落ちていることが気になって仕方がないから、ゴミ拾いをしていたと思う。
これは偽善なんかな??
自分も学生団体で活動している時に偽善ってよく言われていた。
他人から見たらそれはそうかもしれん。うーん。
でも、自分はその問題(例えば難民問題とか宗教の問題とか色々な国際問題)が気になって仕方がなかった。
だからそういった問題を解決したいと思ったし、たくさんの人に知ってもらいたいと思った。


おれにとって気になって仕方が無いことは、国際問題だった。
おばあさんにとって気になって仕方が無いことは、ゴミが歩道に落ちていることだ。
こういう自分にとって気になって仕方が無いことを、見つけられるようなプログラムとかイベントとかシステムがあったらなと思った。


偽善って他人から思われているということは、自分が真剣に善のために尽くしてないから、偽善だと思われるんかなと思う。
だからやっぱり自分は、一日一日を懸命に生きて、その問題を解決したいという思いだけを持って、無理せずその問題に関わって行きたいと思う。

2011年6月30日木曜日

卒論計画発表 中国現代政治

今日ゼミの教授に卒論のことを聞いたら、好きなようにやっていいよと言われた。
きっとこの調子ならゼミで卒論の計画発表とか無いだろうから、ブログで一人発表会をしたろうと思って、ブログを書いている。
始めます。
つーかむしろ動画とかでプレゼン動画撮って、載っけてやろうかなとか思ったけど、ようつべとかustのアカウント持ってないからやっぱブログ。


まず問題提起

現在の中国は経済成長が著しく、その成長を背景にして軍備増強に多いに力を入れている。軍備増強に伴うかのように人民解放軍も同じように台頭してきた。その結果が先に起こった尖閣諸島漁船衝突問題であり、現在係争中の東シナ海の領土問題である。
中国の東アジア進出に対し、アメリカも反応を起こした。フィリピンやベトナムと共同演習を行い、東アジアでプレゼンスを保とうとしている。しかしそのアメリカの動きに対し、中国は批判を繰り返す。

アメリカの経済的プレゼンスが降下するなかで、中国は空母を建艦するなど勢いは留まる所を知らない。

唯一の超大国アメリカとしては、これまで通りインド洋と太平洋の安定を望んでいる。
しかし一方の中国は、東シナ海を自国の領土にしたいという意図が丸見えだ。
このように両者の「利益」は異なっている。利益が共通ではないのだ。
これでは、東アジアの安定が崩壊してしまうのではないかということを、問題提起している。


共通の利益という視点から、過去の例を見る。

まずは勢力均衡による安全保障である。説明は面倒なので、wikiとかで確認してください。
ここでのポイントは各国の外交使節団が異なる思いや利益を持ちながらも、一つの安全保障体制を構築出来たという点である。各国は戦争をもう二度と起こしたくはなかった。そして、何らかの安全システムを構築出来れば、二度と戦争を起こさずに済むという認識を各国の使節団はしていた。その戦争を避けたいという、「共通の利益」があったからこそ、勢力均衡による安全保障体制が生まれたのである。実際にウィーン体制によって、大きな戦争は避けることが出来たのである。

もう一つは冷戦のシステムである。冷戦は米ソ間で交流なんてないだろうと思っている人がたくさんいると思う。しかしそんなことはなく、週に一回米ソの外交官か誰かがMTGをしていたのである。両者はキューバ危機以降、両者は核戦争は何としてでも避けなければならないという認識を持つようになる。キューバ危機以降、米ソはホットラインを作り、いつでも大統領同士が電話を出来るシステムを作った。冷戦中に核戦争が行われなかった背景には、両者の「共通の利益」である核戦争を避けたいという思いがあったからである。


これに対し、現代の米中関係は一体どんなものなのだろうか。
米中には「共通の利益」はあるのだろうか。またはその「共通の利益」を米中で作り上げるこてゃ出来るのだろうかということを研究しようと思って、先生に言った。

そしたら、中国内部が分裂していて、交渉なんて出来ないという指摘を頂いた。
確かに中国共産党は戦争を引き起こしたくないのかもしれない。しかし、共産党が軍部を統制出来ていないのだ。今の中国は満州事変を引き起こした日本帝国陸軍と同じ状況なのである。
先の尖閣諸島の事件や領土問題も海軍が暴走したから起こったのだ。
今や中国はシビリアンコントロールさえままならないのである。そこで、共産党、海軍、陸軍それぞれが考える外交政策について研究したらいいのでは?という提案を受けて、自分としてもそれを研究するつもりです。


このブログは誰が読むのだろうかーーw

2011年5月22日日曜日

戦争と努力と殺害と英雄

昨日ひょんなことからシモ・ヘイヘという人の存在を知った。
wikiで調べたら載ってるので見てください。
(リンク貼ってもいいかどうか分からんので)


ヘイヘは軍人で冬戦争と呼ばれる戦争の際に、500人を殺害した。
軍人なる前は狩猟してて、だから鉄砲撃つ技術も高かったらしい。


500人も殺害したとかどんな人やねんって思うかもしれない。
ちょっと頭おかしなってもてるんちゃうかとか
人殺すことが好きなのかって思われるかもしれない。
でもおれはそう思えない。


出版社がこの人にインタビューした時にインタビュアーが
「500人を超える人を殺害して後悔はないのか」
と聞かれた時ヘイヘは
「命令されたことを可能な限り実行しただけだ」
と答えた。

そして狙撃の秘訣を聞かれるとヘイヘは
「練習だ」
と答えた。


この人は本当に人を殺したのか?
この人は与えられた任務に対してそれ以上の結果を出した。
それはこの人が優れているということだろう
しかも狙撃の秘訣は練習って...
ヘイヘは結果を出すために努力をしたんだろう。そして結果も出した。
だからその努力が人を殺すための努力でも、何か尊敬してしまうのだろう。

戦争の英雄っていうのは得てしてそういうものなのかもしれない。
ある一定の数を殺害したら英雄になるっていう格言もあったし。

何かに向かって邁進している姿がかっこいいと思ってまうんやろな
あと、努力を励行するところとかかっこいいと思ってまうよな

2011年5月8日日曜日

これからのこと

今日は小学校の同窓会があった。
子供出来たやつとか京大に行ってるやつとか働いてるやつとか。
しゅうかつしてるやつもおった。

みんながどうゆう思いを持って、今を生きているかはわからんけど、自分はこうしたいと言う思いがちょっと見えてきた。

自分にとって大学生活は、どうやったら世界を平和に出来るかをずっと考えながらすごしてきた。ほんのちょっとでもいいから、世界の平和ってゆうものに貢献したいと思ってやってきた。まぁ四六時中そんなことばっかり考えてないけど。それが例えば、難民イベントだったり、イスラームやキリスト教や仏教に触れてみるイベントだったり、NPOの活動であったり。結構やってきた感はある。

そしてしゅうかつをしていくなかで、自分はどうゆう進路を取るか悩みながらずっとやってた。
NPOみたいなとこに入るとか 自分でたちあげちゃうとか 休学しようかなとか
どうにかして、世界の平和というものに貢献したいとずっと思ってた。


でもNPOとかで働くってやっぱり自分に合ってないなと思った。
NPOを悪く言いたいとかではなくて。


今回東北と関東で大きな地震があって、多くの人が自分に出来ることはないんかってゆう焦りを持ったと思う。もちろん自分もそう。何か自分に出来ることはないんかって思った。募金してもなんかもの足らんし、かと言って仕事を休んでまで被災地に行けへんし。テレビ見てたら、GW期間にボランティアに行く人が結構おるみたいなことを聞いた。


みんな何かしたいと思ってるけど、出来てない。


というのが、今の問題だと思う。
ほんでサラリーマンがやっぱり日本では多いですよと。ほんでサラリーマンも社会に貢献したいと思ってるやろと。でもどうやったらいいか全く分かりませんと。
なら、自分は無理せず普通に働きながらでも社会にメッセージを発信出来るようなサラリーマンみたいになりたい。ほんで何かしたいと思ってくれたサラリーマンにこうしたらいいんやでって言うというか、行動の仕方を紹介出来るような感じというか。

NPOとか、同じ志を持った人と一緒に活動出来るような。まぁ分からんけど、社会人になっても、大学でやってきたことみたいなことは続けいたい。
そのために。やっぱ日記書かなあかんなと。だからこれからはevernoteとかに書いていこうと


まだ内定もクソももらってない、4回生の学生やけど

2011年4月14日木曜日

花見している人とホームレス




この桜並木は、三左衛門堀という川に沿って植わっている。
三左衛門堀のすぐ裏には、姫路市役所がある。
ランチ時には市の公務員たちも、この川で弁当食っていたりする。


三月に入って、姫路に帰ってきた。
それから神戸とか大阪に行く時には、姫路駅に行く。この桜並木は一番の近道になる。だからおれはこの道を、よく通っている。でも、橋の下にはホームレスの人が住んでる。夜に橋の下通った時ひきそうになった。そういえば野球してた時も、ここ走ってた時橋の下は通らんかったなと思い出した。


小さい頃から姫路って、ホームレスがおるってことは、おかしいことだと思っていた。特に行動を起こした訳ではないけど。
自分がこれはアカンなって初めて思ったことかもしれへん。
自分の身の回りで起こることに、主体性を持ったのもこれが姫路のホームレスがきっかけかもしれへん。


今日、説明会があって姫路駅に行くために、この桜並木を通った。
たくさんの人が花見がてらに散歩をしてた。わーわー言いながらおじいさんやおばあさんが散歩してた。
でもホームレスがいる橋の下に来ると、あぁって言うて来た道を戻っていった。
おれは毎回ホームレスの人がいる橋の下を通っている。この道を避けるのは、この人たちを無視しているように思えて。
おれはちゃんと考えてるねんでって、自分を正当化というか、自分はホームレスの人たちと向かい合っていると思い込みたいからかもしれへん。


おばあさんやおじいさんみたいに、無視して過ごすのが、受け入れる力なんかな?
ホームレス問題に向かい合うべきである、公務員の人たちはホームレスの人のことを無視しているように見えるけど、実はそれが向かい合っているということなのか?もっと言えば、姫路市役所の目の前にあるバス停にホームレスがいるねんけど、それは受け入れてしまってもいいのか?

一体誰が解決するのか。解決せんでもいいのか。問題だと思っている自分が解決すべきなのか。

2011年4月5日火曜日

銀杏BOYZ 僕たちは世界を変えることはできない

この曲を聞いて、youtubeとかではすごくよかったってゆうコメントが多い。
でも自分はとても憂鬱な気分になった。
それを今の気持ちを整理するために、書き残しておこうと思う。


自分が尊敬するゼミの教授が「自分はスターリンと文章を通じてやりあったんだ。彼のことを書いている本をたくさん読んだんだ。だから、彼の考えていることとか、彼ならこんなことはしなかったとか分かるんだよ」と言っていた。
自分が尊敬する教授は、スターリンと取っ組み合いをしたんだな〜と
自分はこれまで誰と取っ組み合いをしてきたんだろと考えたら、
元GOING STEADY,現銀杏BOYZの峰田和伸とかが出てきた。

中学二年ぐらいの時に青春時代という曲を聞いてから、ゴイステの曲を聞きあさった。
音楽を熱中して聞き始めたきっかけが、自分にとってゴイステだった。
音楽から生まれた友達もたくさん出来た。
だからどんどん音楽を聞くようになった。

中学三年生の時に銀杏のアルバムが出て、ずっと聞いた。
東京という曲を聞く度に、泣いていた。最初は曲が悲しくて泣いてたけど、途中からはパブロフの犬みたいな感じで、東京がかかったら泣いていた。でも最近ようやく泣かずに聞けるようになった。

童貞ソー・ヤングとか学校帰りとか叫びながら歌っていた。
月並みな感想やけど、こんな自分でもいいんやってゆうか、こんな自分でも自分を好きになってもいいや!!!!
って思えた。と思う。とりあえず、曲が好きだった。みんながかっこよかった。
世界で一番すごい人は峰田だと思っていた。
これが中二病か....


そして高校二年ぐらいからは、聞かんようになった。
その頃から向井秀徳を聞いていた。ここでは、それについては書かない。


大学生になってからもあんま聞かんかった。
でも最近というか、三回生の後半ぐらいからまた聞くようになって、
その時にこの「僕たちは世界を変えることはできない」という曲を聞いた。

曲名を聞いた時点で自分は、びっくりした。

僕たちは世界を変えることができない

自分は大学生になって、様々な人に国際交流や国際協力を支援する団体に入って活動してきた。
市民啓発団体のような所でも活動した。そこでは失敗しかしてないけど。
なんでそんなことをしていたかというと、それは世界が平和になればいいなと思ってるから。
今の世界はちょっとおかしいから少しでもいい方向に向かっていったらいいなと思ったから。

自分に誇りというか、自分の事を好きになってもいいとゆうことを教えてくれた銀杏。峰田。
それで大分自分は救われたと思う。

なのに峰田は僕たちは世界を変えることができないって言う。
一番すごいって思っていた人がこんなことを言ってしまった。


最近の自分はしゅうかつで、普通の企業を回っている。
将来も国際協力とか国際交流みたいなのを続けていきたいと言ったら、困った顔をされる。
黙っとけばいいやんって思われるかもしれんけど、なんでか出来ない。

普通の企業に就職するということは、こうゆうことなんだな。
自分はきっと、続けられないんなって思ってしまう。
この曲のせいにして、自分は何かを犠牲にしていくんかな。
それか、この曲をバネにして、何かにチャレンジしていくんかな。

まだまだ峰田と、銀杏とやり合わなアカンってことが分かった。

2011年3月28日月曜日

受けれ入れる力という「なにか」

関東・東北大震災があった。
たくさんの人に不幸があった。
多くの人がなにかをしたいと思って、募金活動をしたり、募金をしたりしてる。

でもなんでそうゆうことをしたいかというと、なんでなんやろう。
もちろん募金したらお金が被災者の方々にいって、生活を助けるやろう。

でもなんなんやろうな
神戸に行ったとき、募金活動している人たちが取材されていた。
大声を張り上げて、募金してくださいと呼びかける人。
でも募金している人は少ない。
自分も募金はしていない。バイトとかしてないから、今はしたくない。

人が浮き足立っている。なにかをしたいと。自分もそうやけど


そうゆうことを、土曜日の飲み会の時に話しをした。
その時にお世話になっている人が受け入れる力がどうこうと仰っていた。
酔ってたからはっきりと覚えていないけど...

自分には、その人が完璧に割り切って考えているように見えた。
その迷いがないのが、半分羨ましくて、半分そんな割り切っていいんかよって思った。
それでいいんかよって思った理由は、悩んでる自分の方が正しいって信じたいだけやろうけど。

でも、思いがけなく心に響いた 受け入れる力 というなにかにびっくりした。
悩みがありつつも、今自分が出来ることに一生懸命取り組むということが一番大事なのは分かってる。
一生懸命取り組めてないんだろうな。

2011年2月15日火曜日

身体を使うということ

悩みやモヤモヤした気持ちの時に、身体を動かしてリフレッシュしたらと言われる。
そして身体を動かすことによって、不思議と頭がスカッとして、悩みやモヤモヤがすっきりとする。

でも、おれは思う。
本当にこれでいいのか?

自分が深く悩んでいることを、考えるということではなく、身体を動かすことによって、解消しようとしている。
考えるということを行う際、身体と頭は別のものだと思う。
身体を動かして、身体が疲れたというサインを送る。
そして、頭は考えるということを放棄して、疲れた身体を癒そうとする。

そのことにより、身体は回復する。しかし、思考は止まる。

身体を動かして、考えるという行為を騙している気がする。

そう思う。



しかし運動してリフレッシュしたいと思っている。
逃げようとしているおれだ

問いかけるということ

僕が「問いかける」という言葉と出会ったのはいつだろう。

大学生になってからってゆうところははっきりしてるけど、厳密にはいつだったのだろう。

先輩の家で酒を飲みながら自分たちの団体を良くするためには、一体どうしたらいいのか。
自分は何がしたいのか、自分が大切にしたいことはなにか。
自分はなにをしたいか。
自分はこれがわからない。これって一体なんなんですか。
先輩はどう思うんですか。
お前はどう思ってんの。

ってゆう言葉がそこには並んでいた。
その言葉の名前が「問いかける」という名前だと知ったのはいつだろう。

イベントをしていて、自分たちが教えるのではない。
参加者たちの中に生まれた、もしくはある「思い」を、自分の言葉として出す。
自分たちが、参加者たちに思いを「持たせる」のではなく、参加者たちの心の思いを参加者たちに自分で「気付かせる」
ということをしたい。

一体いつだったんだろう。
これをどうまとめよう。

2011年1月13日木曜日

外務省勤務している総合政策OBの話しを聞く

今日はゼミで外務省で働いている人の話しを聞いた。
関学総政の一期生の先輩だ。

その人は今ロシア関係の情報局で仕事をしている。
そこで今ホットな問題である北方領土問題について話しをしてくださった。

ロシアとの北方領土問題はすごく複雑で、今解決することはとても難しいということだった。
そしてロシアと中国の関係も話してくださった。
まるで普通のサラリーマンがお得意さんは大変だよ〜みたいに話していた。


おれの先輩が、おれと一緒のキャンパスで過ごした先輩が。
おれと一緒のキャンパスというか、今のキャンパスよりもずっと設備も悪いのに。
その人は外務省でロシア相手に仕事している。

おれはおれのすべきこと、すべきことというか、なんというか、したいこと。
いや、おれがしたいことを全力でやろう。

その先輩とおれの土俵は違うけど、頑張ろうと思ったぜ。
あーデザートじゃんけんが悔しいなうーーw