2012年3月5日月曜日

歴史を残すとは

冷戦中、西側から東側へ行くことは出来たけど、東側から西側へ行くことは困難だった。西側の人が東側の人達と壁のゲートで泣きながら別れを惜しむ、涙の宮殿というところにも行った。

そのゲートは今はもう無くなっていて、立派な展示会場みたいなものがあった。
その展示場でのドイツは徹底した被害者だった。第二次世界大戦が集結して、ドイツは米ソの超大国の冷戦に巻き込まれ、多くのドイツ市民が離れ離れになってしまった。みたいな感じの主張が多かった。(展示物は全て英語の文章でした。my English is very poorです)

アウシュヴィッツやワルシャワではドイツが圧倒的に加害者だった。それがベルリンに来てみたら被害者に代わっていたのがおもしろかった。

もちろん、第二次世界大戦と冷戦は違う。でも、ドイツがその加害者側としての側面を見る機会が本当に少なかった。

反省とは、謝罪とは何なのか。
歴史を残すとは、被害者であったことを声高に主張することなのか。
自分が犯した罪を謝罪して、自己批判をすることが、歴史を残すとゆうことではないのか。
一方では被害者だからと言って、その一方の面だけを主張することは、罪を認めていないのではないか。

日本でも同じことが言える。

と、涙の宮殿を訪れた私はドイツのことをよく知らないけどそう思った。

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