2012年3月6日火曜日

負の遺産としての博物館

ベルリンユダヤ博物館に行った。その博物館はアウグストゥスとかアウグスティヌスとか、おれはよー知らんギリシャ時代?の昔からのユダヤ教の資料から、現代に至るまでのユダヤ教の歴史を見ることが出来る。

この博物館は建築的にも有名で、変な形をしていた。おれにはその建物の価値はよー分からんけど、オーディオガイドの前半では建物が建てられた当時どれだけ衝撃的だったかをずっと説明してた。
博物館に入ってすぐアウシュヴィッツへの道、亡命の道そして継続の道とゆう三本の道があった。アウシュヴィッツへの道を行くと、行き止まりになっていた。この構造により、観覧者は不安な気持ちになるらしい。おれはならんかったけど。ワインとビールをその前に飲んでいて、気持ちよくなってたのもあると思うけど。
オーディオガイドが

アウシュヴィッツの道を歩くと、観覧者は不安な気持ちになります

って言ってたけど、その説明は違うよと


ベルリンユダヤ博物館は内容が充実しすぎて何があったかとか逐一書くことは出来ない。
でもベルリンユダヤ博物館を訪れて、自国の歴史のネガティブな面は、博物館とかの日常生活とは離れたところにおいているのではないかということに気づいた。

ワルシャワを訪れた時にも書いたけど、ネガティブなものを見ながら生活するのはやっぱりしんどい。

ネガティブな歴史の証を見たくないから、博物館に入れるんやなと思った。壊すのもそれは違うやろうし、でもずっと生活空間にあるのは嫌だ。だからその歴史の証を博物館に入れる。博物館がたくさんあるということは、行き場を無くしたネガティブな歴史の証を保管するためにあるんかなーと思った。

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